英語教育学専攻博士前期課程を修了し、大学教員になるまで

下島 義容 さん

大学院入学前

私は大学院に入学する前は他の大学を卒業し、教員採用試験を受けつつ『教える』という仕事に携わっていたかったということもあり学習塾の講師をしていました。しかし採用試験も悩みどころの一つでしたが、人にものを教えるということに対し自分の技量、知識のなさで非常に悩んでいた時期があり、大学時代の恩師に相談をしました。大学のときに学んだ英語学を生かして中学や高校で教えることが出来ないかと。もちろん進学も視野に入れていると伝えたところこの拓殖大学の大学院、言語教育研究科を紹介されました。

大学院での思い出

私は2001年4月に入学し、2003年3月に修士課程を修了しました。入学当時の英語教育研究科の仲間たちは学部から直接上がってきた日本人2名と学部卒業後に中学校の教員として現役で働いている方、ほかの大学を卒業し高校の教員として現役で働いていた方、そして2名の留学生。自分を入れて7名が同じときに大学院に入学しました。この仲間たちが今どうしているのかは後程本人たちにお話ししてもらえると思います。

私は入学をすると指導教官として山田先生についてもらい、毎週授業以外にオフィスアワーという時間を取っていただきました。1年目は毎週英語教育に関する記事を読みそれに対する感想、意見を英文にし添削をしてもらいました。ここで自分の英語力をさらに補強していただきました。2年目は1年次の途中で修士論文として書き上げたいと思ったテーマに沿ってデータの収集から調査、執筆と論文を書く指導をしていただきました。

授業では入学前から望んでいた英語学のほかに英語教育、英語コミュニケーションの授業をバランスよく履修し、現場に出てからも臨機応変に対応できるように学んでいきました。音声学などは英語教育だけでなく、日本語教育の学生と一緒に学び、英語教育だけでなく日本語教育という視点からの意見も吸収していきました。また同じように日本語教育の学生と一緒にCALL授業に対応できるようにHTML教材を自分で作り授業に生かすという授業もあり、これがなければ今の私の授業のいくつかは出来なかったかもしれません。

大学院の在学中に知識の吸収と論文の作成を行いつつ、教員採用試験の学習も進めておりました。2年次には採用試験と私学適性試験を受験しました。受験日までに満足のいく準備ができたかというと素直に肯定することは難しいですが、この私学適性試験の結果から卒業後の進路が決まることとなったのです。

現在の仕事場

私は大学院を修了直後は、先ほど述べたように私学適正試験を受験していたおかげで高校の非常勤講師の話があり、在学前から続けていた学習塾の講師と合わせて2足のわらじを履くこととなりました。非常勤とはいえ、一週間のコマ数が専任よりも多く、部活動にも軽音部ですが、少し参加しておりました。2005年になり、山田先生から拓殖大学の外国語学部での授業を担当してほしいといわれ、二つ返事で快諾させていただきました。その時より今に至るまでこの拓殖大学で働かせていただいています。現在は他に短期大学と専門学校の夜間部において講師として英語の授業を行っています。

現在担当のクラス

拓殖大学の外国語学部では英米語学科のWriting Skills、英文法(再履クラス)、Mass Media Englishを、中国語学科とスペイン語学科の初級英語、中級英語を担当してきました。特に英文法はこの拓殖大学で仕事を始めた時からずっと教えている科目であり、大学院入学時の英語学を生かしながらの授業に一番近い授業だと思っております。中級英語ではやはり大学院のときに学んだファンクションを学部生にもわかりやすく解説をし、学生たちにも簡単な調査をさせることにより、今までの英語と違った視点から英語を見てもらっています。

今後の希望

今後は学生とのコミュニケーションをうまくとりつつ授業内外を通して、いかにして英語を理解させていくことが出来るのかということを常に意識しながら、大学院で学んだことをベースに学生たちに伝えていくことが出来ればと思っています。その合間にうまく時間を作りながら大学院のときから続けているファンクションに関する研究も進めていければと思っています。