【英米語学科ゼミ生新聞】 拓大生を一度洗濯いたし申し候新聞
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東日本大震災手記 第3回
顔で笑って心で…生きている事への感謝

(英米語学科学生新聞「拓大生を一度洗濯いたし申し候新聞」より転載)

南相馬市出身 豊田明愛(とよだ あきえ)さん 英米語学科4年

震災から1 か月後、両親とともに山形に避難していた祖父母たちの元へ向かった。部屋には震災関連の切り抜きが積み重ねられており、台所にはビールの空き缶が大袋一杯に入っていた。

祖父母たちと話をしていると急に寒気がした。父方の祖父が窓を開けていたのだ。

「あのう… 寒いんですけど… 」

「明愛、こっちさ来てみ」狭いベランダには、空のペットボトルが括りつけられていた。そこには一本の桜の枝が生けられていた。小さい小さい淡いピンクの花。

「福島出ていくときに拾った桜だ。見てみろ。見事に咲いてっぺした。強いんだ」これが今年初めて見た桜だった。

次の日、私は東京に戻るつもりだった。しかし祖父たちから聞かされた故郷の状況、現実を見ておかないといけないと強く感じた。ここで逃げたら大馬鹿者になってしまう。行こう。

南相馬の中心街には人が結構いた。配給日だったらしい。屋内退避命令のなか、食糧をもらうために外に並ぶのだ。

海に近づくにつれ、町は異様な雰囲気になっていった。数えきれない命が一瞬にして消えた場所。空気が重くなった。死臭を嗅ぎつけたカラスが舞っていた。

私がそこで見たもの。棒をもって遺体捜索をする大勢の自衛隊員、倒れた松林、家に覆いかぶさった船、マスク、瓦礫、花束、海辺でたたずむ老人、粉塵、ランドセル、長い配給の列、笑顔、そして穏やかな海。

海からの帰り道、私はせっちゃんの家を訪ねた。サプライズのつもりだったのだが、事前に母が、私が来ることを彼女に伝えてしまっていたら しい。祖父と寝たきりの祖母にも会ってきた。

「ばぁちゃん、明愛だよ。東京から来たよ。大丈夫だかんなぁ。必ず建てなおして見せっかんなぁ」

せっちゃんは元気そうだった。
「物が来ねえからよ、痩せっかと思ってったっけ、逆にストレスで太ったよ」と笑っていた。

祖父は両手いっぱいにオロナミンCを持ってきて「飲めぇ」と私たちに渡してくれた。遊びに行くと必ずくれるのだ。

「食糧たんねぇんだから、いらねぇ。じっちたちが飲めぇ」と言っても無理やり渡してきた。ぼさぼさの下がり眉をもっと下げて、じっちも笑っていた。

地元に戻って感じたのは、人々の笑顔の多さだった。顔を上げてにこにこしていた。そんな光景に私は内心ほっとした。

「ねぇ、みんな笑ってるね。やっぱり東北は強いね」

「ちげぇよ。笑ってなきゃ、やってらんねぇべ」と父が言った。

私は何も言えなかった。なくしたものを挙げると、きりがない。きっと痛みは一生消えないだろう。

いや、消したくない。くさいセリフかもしれないが、私は今生きていることが嬉しい。生きていることに感謝している。家族がいて、学校に通えて、将来を考える。辛いことがあっても、嫌なことがあっても構わない。生きていられる。そっと帰りの車の中で胸に誓った。

「私は、精一杯自分の人生を生きます。平凡な人生でも、理想と違う人生であったとしても、胸はって『いい人生だった』、と言える人生を送ります」海よ、貴女は何も変わらず美しく大らかな姿をしていた。嘘のように穏やかだった。貴女はあの日、何を考えていたのだろうか。(豊田明愛)

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