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言葉にも品格を
  −小池先生の講座「言語と文化」を受講して考えたこと−

遠山 博隆さん

この画面をご覧になっているあなたは、よほどのスペイン語好きか物好きでしょう。普通、こんなとこへジャンプしないですよ。時間が許すのであれば、最後まで目を通してやって下さい。あっ、先に断っておきますが、これはスペイン語ではなく、「ことばとは何か」という話です。スペイン語だけでなく、ことばを学ぶのが好きっていう人には居心地がいいかもしれません。最近、書店で「○○の品格」という本が多く並んでいるのを見受けます。そこから、このタイトルに決めました。それでは、少しの間、お付き合いを願います。

 突然ですが、ことばの定義なんて考えたことがありますか。言語学者である鈴木孝夫は「ことばと文化」のなかで「人間は生のあるがままの素材の世界と、直接的にふれることはできない。素材の世界とは、混沌とでも、カオスとでもいうべき、それ自体は無意味の世界であって、これに秩序を与え、人間の手におえるような、物体、性質、運動などに仕立てる役目を、ことばがはたしていると考えざるを得ない」と話しています。

面白い話があります。アフリカの、とある国では虹を表す色が二色しかないそうです。もちろん、彼らにも他の色は見えているそうですが、色を細分化する必要がないのです。彼らは、薄い○○、濃い○○、といった言い方をします。人間は生活において、必要なものに対して命名することが多いので、彼らは虹の色より、例えば、雲のひとつひとつの細かい動きを表すものに対して、我々が驚くような語彙を持っているのです。逆に、日本のような社会においては、話は別で、物や色だけでなく現象に対しても、それぞれ明確な名を与え、生きるうえで必要なものを私たちは記憶していきます。国や言語によって、ことばの体系が異なるのですね。

 ことばは生きているので、必要な単語は生まれ、必要がなければ死語になります。私が「チョベリバ」なんていえば、年齢が推測されるかもしれないし、友達をなくすかもしれません。 そういえば、最近よく使う若者言葉のひとつに「ムカつく」があります。ムカつくといえば、イライラして腹が立つことです。バイト先の店長とけんかして、それを友達に伝えるのは、これが一番ではないでしょうか。私たちは、ことあるごとにこれを連呼します。「KY」という略語まで創ってしまう私たちですから、説明能力が低下し、ボキャブラリー不足に繋がっていく虞もあります。もう少し、普段から吟味して言葉を使えたらいいのですが。

例えば、オリンピックで優勝した人が、後日、その気持ちをカメラの前で言い表すときに、「最高です」と言うとします。しかし、その人は、ある種日本語にはない特殊な空間にいるともいえます。つまり、優勝して嬉しい反面、達成してしまった空虚感、このアンビバレントな状態を日本語で一言に言い表すのは安直というか、もったいないと思うのです。もちろん、複雑に入り混じった事象が絡み合っているので、一概にいえませんが、複数の他の言葉で言い換えてみると、その人の持つ素敵な感性が見ている人の心を打つ可能性もあるのではないでしょうか。とはいえ、言葉を普段から使い分けるというのは、実際問題、日本語と外国語のどちらにおいても、困難を要します。

高校時代の授業でこんなことを聞きました。私たち日本人は「驚く」を英語にしろと言われると、異口同音にsurpriseと言うそうです。しかし、それを聞く英語の母語話者はastonish、amaze、shock、scareなど、もっと別の単語を使って話してほしいそうです。それは、「驚く」が状況によってさまざまなニュアンスを含蓄していることに起因します。日本語の「驚く」には種類がありませんから、私たちは英訳したくなったら、辞書を引いて日本語に当てはめるだけ、という言わば単純比較作業でやり過ごすでしょう。しかし、これには大きな落とし穴があります。 「私は幸せだ」というのは「I am happy.」だと学んだのを覚えているでしょうか。しかし、実際のところ、厳密な意味は異なります。「幸せ」と「happy」それぞれを円で表し、それを重ねてみると、確かに重なる部分もありますが、お互いにズレが生じている部分もあるのがわかります。日本語と外国語を比べるというのは、限界があるということなのです。それは、つまり、日本語の「幸せ」と英語の「happy」が一対一の関係ではないということを表しています。

他の例を挙げてみましょう。下川裕治・著の「タイ語でタイ化」という本の中には、彼が現地生活を通して学んだ日本語とタイ語の単語における意味の違いが詳細に書かれています。「ユン(グ)」というのは日本語に直訳すれば「忙しい」という意味なのですが、タイでは「ごちゃごちゃして整理がつかず、頭の中がパニクっている」ことに対し「ユン(グ)」を使うそうです。同じ「忙しい」でも中身が違うのですね。タイでは働き者が軽蔑されると言われていますが、それも背景にあるのでしょう。ことばは、やはりその土地で生まれ死ぬものなのです。 そういえば、スペイン語学科担当の松下先生は「大地の空気“el aire de la tierra”」としばしばおっしゃっていました。ことばを学習するというのは、国の地理や歴史背景など、さまざまなことを知るというのと同義といえ、私たちは、大地に深く根付いていることばを、現地の空気に触れながら話すことで身につくのです。アラビア語にはラクダに関する語彙が多いのも、日本語で「山」といえば何か神聖なものを感じることができるのと何ら変わりがないのです。

これらを踏まえて、スペイン語学科担当の小池先生はバイリンガルやマルチリンガルなどは少し残念だとおっしゃっていました。日本語を覚える前に英才教育で英語を勉強するなんてもってのほか。日本人として、大切なものを失うかもしれないということです。物事を考えるのは、まず、日本人としての感覚を身に付けることが先決なのです。小池先生は、四十年近くスペイン語に接して、文法規則を余り意識せずにスペイン語を書いたり、話したりすることができるようになったそうです。そんな先生からすれば、私たちが話せるというのは、うわっ面のただの見せかけかもしれません。私たちは、いま一度、ことばと向き合う必要があるかもしれませんね。

今回、私がこのようなことを書いたのは、小池先生の「グローバリゼーションと言語」という講義を聞いて、とても感銘を受けたからです。講義は二回に分けられて行われましが、残念ながら、私は後半しか聞けませんでした。ここに書いたことは、すべて、授業を通して先生が話したことに対し、私が感じたことを付け加えつつ、書き留めたものです。この中で、happyや虹の話、オリンピックの話は小池先生のお言葉をそのまま引用しました。何か質問があれば、先生の研究室を訪れてみてください。ドアをノックすると、「はーい」という少し気の抜けた渋い声が聞こえるはずです。はじめは緊張するかもしれませんが、そこは慣れです。

ちなみに、私はこの講義を聴いて語学の本質に触れた気がします。また、先生の普段考えていることも知ることができたので、大変有意義な時間でした。私個人としては、多くの人に読んでもらえたら光栄です。

 なお、ここに執筆するにあたり、小池先生、瓜谷先生、安富先生の後押しがありました。深く、感謝申し上げます。

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