『日本語と日本文化の歴史基層論~平清盛・徳川家康・坂東太郎に見る呼称とうわさの文化~』小林 健彦(大学院言語教育研究科 客員教授 )著 | 大学 | ニュース一覧 | 拓殖大学

『日本語と日本文化の歴史基層論~平清盛・徳川家康・坂東太郎に見る呼称とうわさの文化~』小林 健彦(大学院言語教育研究科 客員教授 )著

掲載日:2017年03月06日

日本語と日本文化の歴史基層論 ~平清盛・徳川家康・坂東太郎に見る呼称とうわさの文化~

❶現在、我々が日常的に運用をしている、言語としての「日本語」は、世界の言語の中に在っても、その非母語話者にとっては、比較的学習し難い言語であるとされる。
それは、中国大陸発祥で、韓半島経由伝来に依る、「漢字」の存在だけではなく、それが起源となって発生していた、仮名文字(カタカナ、ひらがな)を、 漢字の補助語として使用しながら、通常に於ける日本語の文体が成立していることにその主要な理由がある。 それだけではなく、漢字の発音にも、その倭国への伝播の経緯より、基本形として音読と訓読とが存在し、更には、 音読みにも、主として伝播時期に依る発音の差異―漢音、呉音、唐音、宋音等―が存在していて、一律な形で、一定の秩序や規則に従って発音する訳でもない、 という事情があり、日本語学習を、尚更、難しくしている。
又、表意文字である漢字の語義も、時代と共に変遷を遂げており、漢字文化圏出身の学習者が、当該国に於いて、現在行なわれている漢字の語義を、 そのまま日本語学習に転用した結果、思いも寄らない誤解を招く等と言ったこともあり得るであろう。
本書では、1つ目の課題として、日本語非母語話者(主として留学生等)に依る、日本語学習上に於ける、そうした日本語に特有の問題点に就いて検証を試みた。
❷日本の歴史時代、具体的には近世以前の段階に於ける人名や地名、戦乱、制度、法令、組織、社会的事象等、所謂、歴史用語としてそれらを学習する場合、通常は切り離さない、ひとまとまりの語として取り扱っても、上に位置する体言と下に位置する体言との間に「の」の語を差し挟んで読む場合がある。この場合の体言とは、その殆どの場合が固有名詞、又、固有名詞と普通名詞との組み合わせであり、上にくる名詞と、「の」の語を挟んで、下に続く名詞とを単に連結している様にも見える。しかし、同種の表現法であっても、「の」の語 が入らずに、直接的に上の名詞と、下に続く名詞とが連結されて、恰も一体の語として発音される場合も存在する。
本書では、2つ目の課題として、近現代学校教育の中で、取り分け、多く行なわれる事例を取り上げながら、当該語が当時の社会で行なわれていた呼称と対比させつつ、この課題に関して検証を行なった。
❸日本に於ける自然地形―平坦部、山岳、河川、湖沼、海洋等―や、自然的な現象―気象や地学的な現象等―、或いは、事物等に対して、それらが人間で は無いにも拘わらず、恰も人間であるかの如き日本語運用上の待遇格を与え、それに準じた日本語表現法を採用することが有る。一般的に言って、それら は「愛称、通称」であり、愛着を指し示す目的に於ける手法であるものとも解釈される。
ただ、そこにはそれらを擬人化し、人と全く同様な待遇を与えながら運用をして行く、といった要素は全く無いのであろうか。
本書では、3つ目の課題として、そうした視角に立脚し、人間ではない、日本の自然地形や事物等に対する、人格化表現法の経緯や目的等に就いて考察を加えた。
❹日本語の表現に於いて、「その事柄」を直接的に見聞きした訳でもないのに、「その事柄」に就いて、如何にも自分自身の体験談の如く、 日記、(古)記録等に載せる場合がある。「百聞は一見に如かず」という格言もあるが、正確には、伝聞記事に過ぎない「その事柄」に就いて、 何故、その様なことが分かるのか、何故、その様なことが言えるのか、如何にして、その事象に関する情報を得たのか、等という疑問が残る。
古典的な表現法では、一括して「云々(うんぬん)」という様に、文の書き止めに記される表現法は、一見すると如何にもいい加減で、 信憑性に欠ける様にも思われる。勿論、情報収集や、その伝達という観点に於いては、時代を遡れば遡る程、社会資本の未整備や、 通常交流圏の狭小さ等と言った制約が大きくなり、その手段や頻度、範囲は限定されて来ることより、これには止むを得ない側面も存在するのであるが、 果たして、その様ないい加減な情報に、当時の人々が信頼を置き、皆が振り回されていたのか、と言えば、 強ちそうであるとも断定をすることのできない一面があるのかもしれない。
本書では、日本語表現法として、一括して「云々」と表現されてしまっている、省略や伝聞記事等の内容に就いて、 夫々の使用法に何らかの違いや、区別が付けられていたのか、その伝聞記事の元となる情報はどの様にして得ていたのか、 その情報とは、単なる「噂」に過ぎないものではなかったのか、 等の課題に就いて検証を試み、近世以前の段階―藩校、藩学、郷校、郷学、私塾、寺子屋等、教育、研究環境の整備と、 それに伴なう初等教育の普及、及び、教育水準の向上という条件が整ってはいなかった時期に於ける、識字率や文字認知が必ずしも進んではいなかった社会―、 に於ける、必要とされた情報の収集やその伝達、人々の情報に対する認識を窺った。 4つ目の課題としては、「情報」を1つのキーワードとして、人々に依る接し方や認識を検証した。

出版社

ディー・エル・マーケット株式会社(DLMarket Inc), シーズネット株式会社 製本直送.comの本屋さん

発行日

2017年(平成29)2月20日(初版発行)

著者

小林 健彦(こばやし たけひこ)。昭和37年(1962)生まれ。
新潟県出身。中央大学文学部史学科国史学専攻 卒業。学習院大学大学院人文科学研究科史学専攻博士後期課程 単位取得 満期退学。
現職は拓殖大学大学院言語教育研究科 客員教授、及び、新潟産業大学経済学部 教授。専攻は日本語運用史、災害対処文化論、対外交渉史、歴史工学。
主な単著書著作物には、『越後上杉氏と京都雑掌』戦国史研究叢書13(単著書、岩田書院、2015年5月)、『韓半島と越国(こしのくに)~なぜ渡来人は命がけで日本へやって来たのか~』(2015/6/13)、『災害対処の文化論シリーズ Ⅰ ~古代日本語に記録された自然災害と疾病~』(2015/7/1)、『災害対処の文化論シリーズ Ⅱ ~室町~織豊期の地震災害と対処の文化~』(2015/7/17)、『災害対処の文化論シリーズ Ⅲ ~新潟県域に於ける謎の災害~』(2015/8/13)、『災害対処の文化論シリーズ Ⅳ ~北陸、新潟県域の古代と中世~』(2015/10/16)、『災害対処の文化論シリーズ Ⅴ ~浪分けの論理、水災害としての津波~』(2016/3/1)、『日本語と日本文化の歴史基層論 ~平清盛・徳川家康・坂東太郎に見る呼称とうわさの文化~』(2017/2/20)等がある。『韓半島と越国(こしのくに) ~なぜ渡来人は命がけで日本へやって来たのか~』以下の書籍に就いては、現在、データ版は、ディー・エル・マーケット株式会社(DLMarket Inc)、製本版は、シーズネット株式会社 製本直送.comの本屋さん、にて販売をしている。

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