沿革

1900明治33年

台湾協会学校設立(初代校長は桂 太郎)、富士見町仮校舎で授業を開始。
1期生100名とともに拓殖大学の歴史が始まる

初代校長 桂太郎
初代校長 桂太郎
戊辰戦争に従軍し、明治維新後に陸軍に入り、山県有朋のもと兵制改革に貢献。台湾総督、三内閣の陸相を経て、総理大臣就任三度。初代台湾協会会頭。1900年拓殖大学の前身・台湾協会学校の初代校長となる。
1901明治34年

茗荷谷に新校舎が完成(大講堂3室を有する木造2階建て校舎)、今日まで続く文京キャンパスの歴史が始まる

1904明治37年

専門学校令による私立台湾協会専門学校となる

1914大正3年

恩賜記念講堂開館式・桂 太郎公銅像除幕式挙行

1917大正6年

新渡戸稲造第2代学監に就任

第2代学監 新渡戸稲造
第2代学監 新渡戸稲造
思想家・教育者であり、旧五千円札の肖像となったことでも知られる。国際連盟事務次長、太平洋問題調査会理事長として、国際理解と世界平和に尽力した。「太平洋の橋とならん」の言はあまりに有名。著書「武士道」ほか。
1918大正7年

拓殖大学(専門学校令による)に改称

1919大正8年

後藤新平第3代学長に就任
校歌制定(創立20周年記念運動会で発表)

第3代学長 後藤新平
第3代学長 後藤新平
板垣退助との出会いをきっかけに医師から内務省へ。卓越した政治手腕を買われ、台湾総督府民政長官、南満州鉄道総裁を経て、逓信・内務・外務各大臣、東京市長などを歴任。帝都復興院総裁として関東大震災直後の東京復興、また日ソ国交回復などに尽力した。
校歌作詞者 宮原民平
校歌作詞者 宮原民平
本学4期生出身で、本学中国語の教授・学監を歴任した。
校歌作曲者 永井建子
校歌作曲者 永井建子
陸軍軍楽隊長、帝国劇場洋楽部長などとして活躍した。
1922大正11年

大学令による東洋協会大学設立認可

1926大正15年

東洋協会大学を拓殖大学に改称

1930昭和5年

創立30周年記念式典挙行。この年の在学生は1,145人

1949昭和24年

学制改革に伴い、新制大学「紅陵大学」設置認可
商学部(経営学科・貿易学科)、政経学部(政治学科・経済学科)を設置

1951昭和26年

大学院修士課程(経済学研究科・商学研究科)を設置

1952昭和27年

「拓殖大学」へ校名を復元

1960昭和35年

創立60周年記念式典挙行

1970昭和45年

大学院博士課程(経済学研究科・商学研究科)を設置

1977昭和52年

八王子キャンパスを開設
外国語学部(英米語学科・中国語学科・スペイン語学科)を設置
商学部・政経学部の教養課程を八王子キャンパスに移転

1987昭和62年

工学部(機械システム工学科・電子工学科・情報工学科・工業デザイン学科)を設置

1991平成3年

大学院修士課程(工学研究科機械システム工学専攻・電子情報工学専攻)を設置

1993平成5年

大学院博士課程(工学研究科機械システム工学専攻・電子情報工学専攻)を設置
大学院修士課程(工学研究科工業デザイン学専攻)を設置

1997平成9年

大学院博士課程(工学研究科工業デザイン学専攻)を設置
大学院修士課程(言語教育研究科英語教育学専攻・日本語教育学専攻)を設置

1999平成11年

大学院博士課程(言語教育研究科言語教育学専攻)を設置
八王子キャンパスに創立百周年記念建物「恩賜記念館」が完成

2000平成12年

国際開発学部(開発協力学科・アジア太平洋学科)を設置
天皇・皇后両陛下ご臨席のもと創立百周年記念式典挙行、この年の在学生11,220名

2002平成14年

貿易学科を国際ビジネス学科に、電子工学科を情報エレクトロニクス学科に改称

2003平成15年

政治学科を法律政治学科に改称

2004平成16年

大学院修士課程(国際協力学研究科国際開発専攻・安全保障専攻)を設置

2006平成18年

大学院博士課程(国際協力学研究科国際開発専攻・安全保障専攻)を設置

2007平成19年

商学部に会計学科を設置
国際開発学部を国際学部に改称
情報エレクトロニクス学科を電子システム工学科に改称

2008平成20年

文京キャンパスに新校舎が完成(C館[教室棟]竣工)

2009平成21年

大学院修士課程(地方政治行政研究科地方政治行政専攻)を設置

2010平成22年

工業デザイン学科をデザイン学科に改称
創立110周年記念式典挙行

2011平成23年

文京キャンパスA館改修・増築完成
文京キャンパスにB館(研究室・学生ホール棟)竣工

2015平成27年

文京キャンパス整備事業完了(E館竣工)
商学部・政経学部文京キャンパス全面移転
八王子キャンパスを八王子国際キャンパスに名称変更