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創立者

 桂太郎公は弘化4年山口県萩に生まれました。

 長州藩士として幕末諸戦に参加、維新後、ベルリンに留学、プロシアの兵制を学び後、山県有朋、大山巌を輔けて軍制の改革を図り、参謀本部の独立、鎮台の師団改編等を行い、明治陸軍建設に大きな役割を果たし、陸軍大将に累進しました。

 第二代台湾総督、陸相の後、明治34年初めて組閣の大命を拝し、第一次桂内閣首相として翌年日英同盟を締結、さらに同37年、日露戦争勃発するや挙国一致これに対処してよく戦勝に導き、しかも戦争の終結を深謀、外相小村寿太郎を全権として講和条約を結ばせた功績は史上に著しい。

 明治33年(1900年)、台湾協会会頭として台湾協会学校を創立して初代校長に就任、以後12年間にわたり本学の基礎をつくった。また、医学会でも初代癌研究所会長に就任し、医学の発展に貢献しました。

 大正2年(1913年)10月10日急逝。享年67歳。

桂 太郎先生 銅像

桂 太郎先生 銅像 拓殖大学の前身台湾協会学校の創立者で、初代校長をつとめた公爵桂太郎先生(1847年〜1913年)の銅像です。
 恩賜金の御沙汰書を桂校長が、教職員・学生に奉読している姿です。
 この銅像は大正3年6月に完成したもので、設計・鋳造は武石弘三郎氏の作です。
 大正3年(1914年)11月2日、恩賜記念講堂及び桂 太郎公爵の銅像除幕式が行われました。

【恩賜金拝受】
明治45年4月23日、本学創立以来の業績を認められ明治天皇より恩賜金壱万圓を拝受しました。この名誉を記念して恩賜記念講堂を建設しました。
武石弘三郎 たけいしこうざぶろう
本名:川端 玉章(1878〜1963年、明治8年〜昭和38年・85才没)日本を代表する洋風彫刻家・斯界の第一人者、東京美術学校(現・東京芸術大学)出身、同校教授、新潟県南蒲原郡中之島町生まれ。
 東京帝国大学(現・東京大学)の大半の銅像・彫刻を手掛けました。母校・東京芸術大学にも多くの作品がある。ベルギーに留学、ヨーロッパの彫刻技法を広く日本に広めた。
 東京芸術大学に武石氏の銅像が建っています。

黒田清輝画伯作 「桂太郎公肖像」

黒田清輝画伯作「桂太郎公肖像」
【黒田清輝画伯作「桂太郎公肖像」略歴】
明治43年
(1910)
6月頃肖像画作成の委嘱により製作に着手、油彩画をもって習作を試みる「桂公肖像(画稿):東京国立文化財研究所蔵」
明治44年
(1911)
8月頃完成、桂家に納められた
昭和55年
(1980)
5月24日桂家より、拓殖大学創立80周年を記念して寄付される
平成 元年
(1989)
4月29日〜6月1日「近代日本洋画の巨匠 黒田清輝展」(於:茨城県近代美術館)に出品
平成12年
(2000)
10月 拓殖大学創立百周年を記念し、保存のため原画は拓殖大学八王子校舎恩賜記念館に収蔵複製を4点作成の上、総長室、理事長室、八王子理事会議室用、及び桂公生誕の地山口県萩市へ寄付
平成12年
(2000)
10月31日〜11月5日「明治神宮鎮座80年記念展 輝ける明治の美」(於:日本橋三越)に出品

恩賜記念館

恩賜記念館 明治天皇より、本学創立以来の人材育成の業績に対し、明治45年に恩賜金を拝受し、つくられたかつての恩賜記念講堂は、長く文京キャンパスの象徴となっていました。

 そこで、平成12年の創立100周年を記念して、拓殖大学のこれまでの歩みを集積すると共に、これを後世に引き継ぎさらに発展させるため、八王子キャンパスにこの由緒ある記念館を再建しました。

 歴史的な資料の収納保管や展示場、会議場などとして有効に活用され、拓殖大学の新しいシンボルとなっています。

恩賜記念講堂

恩賜記念講堂 恩賜記念講堂は大正3年3月完成、同年11月2日開館式、並びに桂公銅像除幕式が行われた。設計は妻木頼黄(つまきよりなか)工学博士。老朽化と新校舎建設のために取り壊しを余儀なくされ扁額のみを保存していたが、恩賜記念館に修復し掲げられている。

妻木頼黄 つまきよりなか
(1859〜1916年、安政6年〜大正5年)東京出身
米国コーネル大学、独逸ベルリン工科大学に学ぶ。大蔵省臨時建築部勤務。主に官庁建築で活躍した。主な作品:東京府庁舎(現存せず)、横浜正金銀行本店〈重文〉、横浜新港埠頭2号倉庫など、また、日本橋の装飾を担当。
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